文化のみち二葉館 人物紹介


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旧川上貞奴邸のうつりかわり

大正9年頃〜昭和12年

「日本の女優第1号」と言われた川上貞奴と、「電力王」と言われた福沢桃介が居住していた建物です。

設計施工は、当時の洋風住宅専門会社の「あめりか屋」で、米国住宅のデザインを採り入れた和洋折衷の建物でした。東西に長い建物の東側は、洋風建築様式が採り入れられており、入口から奥の建物西側部分は和風の部屋となっていました。

昭和13年頃〜平成11年

昭和12年には、敷地の一部約2,140m2と建物を川崎舎恒三氏(当時の大同製鋼(株)の取締役)が購入しました。残りの敷地約6,500m2が分割して処分されたため、建物の東側洋館部分が除却され、残された西側部分の増改築がなされました。

増改築時には、ステンドグラスなど、解体した創建当時建物の部材の一部を再利用しており、赤瓦屋根の外観なども創建当時の面影を残していました。

昭和34年には、敷地の北側約560m2が売却されました。

平成17年〜

名古屋市は、平成12年に建物の寄付を受け、解体保管の後、東区橦木町3丁目23番地に移築復元しました。

建物配置を90度回転させるなど、敷地の形状や法規制、機能面などにより、創建当時の建物と変わっているところもありますが、解体保管材をできる限り使用し、当時の雰囲気を残すように配慮しました。

旧川上貞奴邸の移築復元

旧川上貞奴邸の移築復元にあたっては、川上貞奴と福沢桃介ゆかりの建物であり、特徴的な外観や社交場であった大広間を再現するという点から、創建当時の姿に復元することとしました。

また、登録文化財の登録を目指し、
  1. 創建当時の部分はできる限り保管材を使用する
  2. 改築時に転用された部分はできる限り元の場所に戻す
  3. 当時の使用場所が不明である保管材もできる限り使用する
  4. 創建当時の材料や技術を再現する
という4つの方針を掲げ、整備したものです。

移築復元の経緯

平成12年 2月 (株)大同ライフサービスより建物を寄付
平成12年 2月〜平成12年 3月 創建時の建物の痕跡調査及び建物の解体保存工事
(解体部材は倉庫に保管)
平成12年11月 移築復元用地として町並み保存地区に隣接した土地を取得
平成12年12月〜平成14年 3月 復元基本設計書・実施設計書の作成
平成15年 3月〜平成16年10月 復元工事
平成17年 2月 8日 開館
平成17年 2月 9日 国の文化財として登録

移築した部分

構造材、床、天井、造作材、建具の8割程度は、解体保管していた古材を再利用しています。

復元した部分

創建当時の建物を機能により変更し復元しています。

造作材、建具など一部は古材を再利用しています。

建物解体時の調査、建物が写っている古い写真、実際に住んでいた人への聞き取り調査や「あめりか屋」の設計による他の建物を参考に推定復元しています。

ステンドグラス、ソファ、床、天井、造作材など、一部は古材を再利用しています。

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